百年の家に、手を入れる。宝達志水町の古民家リノベーション(1)
宝達志水町で、築百年の家に手を入れています。施主さまのご実家で、十年以上、住む人はいません。いまはご家族で海外にお住まいで、いつ帰ってこられるかも決まっていない。それでもこの家を残すと決められて、九月から一部の解体(減築)も始まります。

空気が悪くなかった
はじめて中に入ったとき、まず思ったのは、空気が悪くないな、ということでした。
十年以上、誰も住んでいない家です。ふつうは湿気がこもって、独特の匂いがついて、畳や建具から傷んでいきます。空き家がだめになるのは人がいないからだと思われがちですが、実際には空気が動かなくなるからです。動かない空気は、木にとって良くない。
この家はそうなっていませんでした。ご親族の方が定期的に来られて、窓を開けておられたそうです。
住むわけでもない家に、何年も足を運ぶ。窓を開けて、しばらく置いて、閉めて帰る。それだけのことですが、家にとってはこれ以上の手入れはありません。わたしがいまこの家に手を入れられるのは、その十年があったからです。
百年前の手が、そのまま残っている
家の中を歩くと、時代がいくつも重なっているのがわかります。続き間の壁は朱色で、天井は赤みを帯びた板張り。欄間があって、襖があって、その先にまた部屋がある。田の字型の、大らかな並び方です。
いちばん驚いたのは吹き抜けでした。太い曲り梁が空間を横切っています。まっすぐな材ではなく、木が育ったときの曲がりをそのまま使っている。曲がった材を曲がったまま架けるというのは、簡単なことではありません。その上に何本も梁が架かって、白い壁と黒い柱が積み上がって、屋根まで届いています。
これはいまつくれるものではありません。材料が手に入らないという話ではなく、こういう納め方をする理由が、いまの家にはないからです。あの梁は、百年前の大工の手がそのまま残っているということだと思います。
外に出ると大きな切妻屋根があって、妻側の木組みがあらわしになっています。その下に黒い瓦が広がる。庭には松があり、飛び石があり、家に合わせて手が入れられてきた跡があります。施主さまが「この風合いが好きだ」とおっしゃる意味が、その場に立ってわかりました。

手が届く大きさに戻す
ただ、この家は大きすぎます。
百年のあいだに、必要に応じて足されてきた部分があります。時代ごとの増築で、それぞれに理由があって建てられたものですが、いまの暮らしから見ると使う予定のない部屋が並んでいる。今回はその後から足された部分を減らして、百年前からある本体を残します。
減築というのは、少し寂しい言葉です。建てるのではなく減らすのですから。それでもこの家には必要だと考えています。
人の手が入らない部屋から、家は弱っていきます。湿気がたまって、屋根の傷みに気づくのが遅れて、掃除も点検も手が回らなくなる。この家がここまで保ったのはご親族の手入れがあったからですが、その手入れをこの先も続けていくには、いまの大きさは無理があります。まして施主さまは海外にお住まいです。
帰ってこられたときに、目が届いて、手が入って、無理なく暮らせる。そのくらいの大きさにしておきたい。減らすことは失うことではなくて、この先も手を入れ続けられる家にすることだと思っています。
断熱は家全体に入れます
もうひとつの方針として、断熱は家全体に入れます。
古民家の断熱には、居室だけを暖かくするやり方もあります。予算も抑えられますし、現実的な方法です。ただ今回は、ご家族で帰ってこられてこの土地で暮らすための家なので、そうしません。廊下が寒い、水回りが寒い、寝室に行くまでが寒い。石川の冬にその家では、何十年も住んでいただけません。
どこに手を入れないか
ここが、いちばん悩んでいるところです。
断熱を入れるというのは、壁と天井と床に厚みを持たせるということです。ところがこの家で美しいものは、ほとんど構造そのものなんです。あの曲り梁も、柱と壁がつくる面の重なりも、朱色の壁と板天井も。
断熱を入れようとすると、これらを隠す方向に力が働きます。柱の内側に壁を立てれば柱は消えますし、天井に断熱を入れれば梁の見え方が変わる。開口部も同じで、いま入っているのは後から替えられたアルミの建具ですが、ここの性能を上げようとすると窓の割り付けが変わって、外から見た表情まで変わってきます。
手を入れるほど、百年前の手が消えていく。この家では、いちばん愛されている場所と、いちばん手を入れなければならない場所が同じなんです。
あの吹き抜けをどう扱うか。朱色の壁は残せるのか。土間はどうするか。図面の上ではいくつも案が描けますが、まだ決めきれていません。九月に解体して百年ぶりに構造が見えたとき、答えが変わる可能性もあります。開けてみないとわからないことが、古い家には多い。
だから、いまは決めないでおこうと思っています。

海外にいる施主さまへ
施主さまはこの現場を見ることができません。写真をお送りして、図面をお送りして、文章でご説明する。それがいまのやり取りのすべてです。
ご本人がいない場所で、ご本人の愛したものについて判断する。これは責任の重い仕事だと思います。
わたしは大工として現場に立ちながら、建築士として図面も描きます。図面の上では正しくても、現場で木に触れると違う答えが出ることがありますし、その逆もある。この家では、その両方を持っていることが役に立つはずだと思っています。
百年前の大工が手を入れて、ご親族が十年間、窓を開け続けてくださった家です。そこにわたしの手が加わることになります。
九月、解体が始まります。百年ぶりに、この家の骨が見えます。そのとき何が見えたか、また書きます。
(つづく)




